1905年まで、竹島は朝鮮領と日本は認めていた。

岡本 朝也さんよりコピペ

大学非常勤講師、ケアワーカー。共著に、『現代家族のアジェンダ』(世界思想社)、『論点ハンドブック:家族社会学』(世界思想社)、『文化社会学の視座』(ミネルヴァ書房)など。

2017年2月7日

改めて簡単に書きます。
独島(竹島)の領有権ですが、江戸時代には幕府が「あの島は朝鮮領である」という認識に達しています。
明治政府もこの判断を踏襲していて、1877(明治10)年に「この島は日本領ではない」という正式な見解を示しています。

また、大韓帝国政府も、1900年に「この島を自国領とし、行政区を設定する」という決定を下したとみられます(「みられる」という表現をしているのはこの決定をした文書に曖昧なところがあり、歴史学者による解釈がまだ確定していないからです)。
むろん、民間レベルや政府の末端レベルではいろいろなことがありましたし、日本が韓国を保護国にして外交権を奪うというようなことがあって話がややこしいのですが、ざっくりいうとそういうことです。

こうした状況が一変したのは日露戦争のためで、独島(竹島)が対馬海峡とウラジオストクを結ぶ航路上の要地にあることに気付いた日本海軍が領有を急いだことが背景にあります。結果として、日本政府は極めて不透明なやり方で(諸外国はもちろん、韓国政府にも通告せずに)1905年にこの島を日本領に編入しました。

このことについて、現在の日本政府は「19世紀までの決定は、現在の竹島についてのものではない。1905年は新しく発見した島を編入したものである」という、幼稚なのか傲慢なのかわからない論理を使って正当化しようとしています。
この問題が重要なのは、近年の文部科学省の方針によって領土教育が強く推し進められることになり、日本政府の立場だけが小中高校で教えられることにほぼ決まっているからです。

現在でも、ネット右翼やザイトク系のひとたちが「韓国は日本に対して理不尽な主張を繰り返す国である」というような偏見を持ち、それを振りまいていますが、そういう認識が学校で子どもたちに植え付けられかねないという状態になっています。ですから、これは決して小さな問題でも、放っておいてよいことでもありません。

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