だんぢり有料観覧席のネコババトンズラのツケは、年番でなく藤江氏へ

だんぢり有料観覧席のネコババトンズラで、年番に税務調査 http://mitumerukisiwada.seesaa.net/article/464009660.html
において、2019年2月頃までの話を書いた。


2018年度の村上信行・年番長(本町)が炙り出されて、だんじり会館で「毎年1300万円もらっていた」と白状した記者会見の後、税務署から「過去5年分の帳簿もってきてね。 収入として、税金払ってもらうから」と言われて数ヶ月。


いまだに年番では帳簿を税務署に提出できておらず、過去の年番長などがやっさもっさしているとの情報が入ってきた。
2018年度の年番会計は中北町であり、さぞや慌てているのかと思いきや、さにあらず。
これまで会計は、真面目な面々が受けてきており、過去に遡っても、そのような方々は、記帳に不振な点はないようだ。
だとすれば、大阪文庫のショバ代=1300万円は、別の裏帳簿が存在し、そちらに記帳がなされていると考えられる。


その裏帳簿を含めて税務署に提出する必要が出てきたので、会計の預かり知らん裏帳簿をどうするか、これまでの年番長らは頭を抱えているのだろう。
というか、1300万円以外もあるかもしれぬ裏金の分配など記帳していないだろうし、イチから帳簿を作り直すのでは、その分配金を受け取った町会なども収入とみなされるおそれがあり、波及効果は広がるので、「どうすべ?」となっているのではないのか?


再度、大阪文庫が参入してきた時点に話を戻す。
キーマンとして、以前書いた2015年の年番長=春木南の藤江浩二氏以外にも名前が浮かび上がってきた人がいる。


偶然にも、以前、この動画に写り込んでおり、今回の「市長落ちたら市議にまた出たらええやん、恥はかきすて」西田選挙でも、商店街で木下書店よりも更に駅側に小さく構えた事務所に出入りしている、加納正氏である。

西田武史・市長候補予定者事務所へ、公開質問でご訪問。


加納氏は2013年の年番長。
この年、藤江氏は春木南の曳行責任者で、筆頭補佐年番であったはずだ。


このコンビ、「あぶない刑事」より危ないコンビであった。
当時の加納語録から引けば、「商工会議所青年部が観覧席をやるなら、前に幕張って見えんようにしたらぁ! 」
などと、有料観覧席を我がものにしたかのような発言が飛び出す。


確かに観覧席を設置した土地を借り、大阪文庫などの保証人となってきたのは年番であり、ゆえに観覧席事業では胴元であると見られる。
これはチケット購入した被害者は、大阪文庫と年番に連帯して賠償させよとする理由だ。


そんな胴元の年番と言えども、2013年、青年部を主体にした「きしわだ祭SAJIKI運営委員会」などは、ショバ代を500万円も支払っているのに、なぜこのようなビックリ発言が飛び出したのだろうか?


加納氏が、以前から目立った存在であったとの話は聞かない。
むしろ、控えめな存在で、この頃より突然デビューしたようだ。
昔、中学で目立たんのに、高校入学でイキってシャレオツな髪型などをしてくる者に対して“高校生デビュー”との蔑称がつけられていた。
このええオッサンになってのデビューを何と呼べばよいか、再度西田事務所を訪問して、加納インタビューでも撮り直そうかとの気にさせる、3周ほど遅れたデビューである。


これが2018年に中町の曳行責任者となったにもかかわらず、試験曳きのみお立ち台に立ち、祭礼本番直前でパクられたX氏との関係に起因するデカイ態度であれば、まさに虎の威を借る狐ではないか。


加納氏は、X氏の代わりにお立ち台に乗る事で、更に化けの皮の化粧が厚くなったのか、今まで乗ったこともない古屋根へと続く梯子にたかり出し、大工方に文句を言い出すような行為も見かけるようになる。
急に“デビュー”したなら、あの西田事務所で、なぜ私に相対すことはなかったのか?
そのような実績が伴って初めて“デビュー”は、日常へと変化していくのだし、その良いチャンスであったのだが・・・・


そんなビッグマウス加納氏と、どんぶり勘定藤江氏がタッグを組めば、景気よく金回りが良くなる話を引き寄せることができたのだろう。
但し、それは裏金だったのです・・・・と注意書きがつくのだが。


そんな藤江氏も景気の良かった頃は、後輩らにずいぶんご馳走をしたようである。
プレハブや自動販売機のリースで儲かっていた時代か。
それともヤクザの顧問として、ヤクザでもないのに、仮性ヤクザとして振る舞っていたときか?


「振るう」と言えば、グルフクラブを殺人企業ヤノコーポレーション総帥=矢野繁和氏らと振るうゴンタ会でも、その姿を披露しただろうか?


そんな大盤振る舞いもいずれ潮目は訪れる。
2017年の祭礼では、旧知のI氏に観覧席の警備を頼むも、警備代金150万円を今に至るも70万円ほど払い残したままである。
それでもI氏とは頻繁に会っているようで、頻回の懐柔策のようにも見える。


友人にそのような真似をするのだから、2018年のプレハブや仮設トイレを年番に対して貸し付けた料金も、いや、そのもっと前から踏み倒すのは藤江ルールでは当然となるのだろう。


そんな藤江のコーちゃんの振る舞いに、年番も「元はと言えば、コーちゃんがちゃんと金銭管理せんと、自分の金のように使ってきたからとちゃうんか?」といった声も出はじめ、今では「年番は知らん。 コーちゃんがもろたんやから、彼が何とかしてもらったらにエエねん」とのクウキになっているそうだ。


そんな声でホッとするのが、村上年番長だ。
ついでなので、曳き手の声としてオマケをつけておきたい。


そもそも本町が年番長をするのは、1969年以来、実に50年ぶりであった。
仏壇のシメノの社長が15年ほど前にする話もあったが、中止となり、今に至った。
そこで男を上げたのが村上氏である。
「副で支える」と中北町が宣言すると、沼町を押しのけて年番長を奪取する。
そんなにHEROになりたかった村上氏だったが、そのお仕事は散々であった。


岸和田署の通達により、「夕方の曳行終了時間は厳守せよ、せねば本宮には曳かさん!」となり、17時の門限を各町が守るよう努力し続けて、最後の本宮で、村上氏の魂が叫びをあげる。


17時半頃まで余裕をもたしているとは言え、17時を過ぎた段階で、何と、村上氏は年番長として「帰町する」と報告する別所町に対し、「行けよ!」と門限破りを指導したのだ。
驚いたのは、年番顧問である。
「おい、村上! ええかげんにせぇよ! 祭り終われへんやろがい!」との怒声を村上氏に飛ばす。


それに呼応した村上氏、次の中北町のだんぢりには「帰れ!」と、さっきとは打って変わって帰町を命じ、「何だ、その言い方は!」と、中北町に指摘され、一時だんぢりも止まる。


もう一町、北町も駅への上がり道を、いつものように真ん中に据えようとするも、「後で別所町が上がってくるねん。 通れるように開けてもらえませんか?」と、年番がお願いし、だんぢり自体は端に寄せはしたが、曳き手は「なんでやねん?」となり、その横を申し訳なさそうに別所町は歩いて通過。
北町だんぢり横を通過してから走り出し、帰っていった。


この奇跡の村上オペレーションにより、ラストのカンカン場は、いつもの浜のだんぢり・・・ではなく、別所町といった天神のだんぢりが残る、一風変わった風景となった。


私への「大阪文庫と年番の関係書くな圧力を、春木年番使ってかけちゃったよ事件」といい、かなりピントがずれたお方が年番長という大役をなさったのだなとの感想は、後年、旧市でも語り継がれるであろうから、ここに記録として残しておく。



今年も観覧席の設置はされまい。
市や年番、商工会議所、青年会議所などが、きれいにお金の見える化をして再建されんことを、今後、議員となれば、交渉していきたい。


その時は、村上さん、お手伝いをよろしくおねがいしますよ。




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