ええ餅なんやから、施設の子にやるわけないやん?と薄情な永野耕平(維新)市長の餅つき

12月30日と言えば、正月の準備も大詰めだ。

永野学園でも子どもたちは「♬もうい~くつ寝ぇ~るぅ~とぉ~、お正月ぅ~♬」と寒い中でも元気に外で遊んでいるかと、「永野耕平・市長7つの大罪」と題する永野市政1年間の検証チラシをポスティングしているついでに、施設のあおぞらとその向かいの永野孝男パパ邸の道を通りがかったところ、道の左右に格差を見て、愕然とした。


泉北を向いて右の孝男邸ではよもぎ餅が餅つきされた石臼と、更に新たなモチ米を蒸す3人の女性。

その近くには男性が4人。

永野l耕平・市長はめざとく私を見つけるや、そそくさと家にトンズラ。

さすが、被告と犯罪者の2冠王は逃げ足が速いぜ!

仕方がないので、多分孝男パパの弟と思しき男性と話した。

堺市社会福祉施設協議会 会長 &
堺市民間保育園連盟 会長(槇塚こども園)の 永野治男氏かしら?

流石に堺市では利権丸出しの施設運営とはいきにくく、利権無法地帯の岸和田市に集まるってわけかね?


彼を知る方からは「治男氏じゃない」との指摘も頂いたのだが・・・・
秘密結社永野家だからねぇ。
メンバーは秘密ってことかしら?
フリーメーソンか?


女性も含めて、「永野家の親戚」と説明したオジサマは、自分の名前も忘れたようだったので、ちゃんと検査を受けるように伝えておく。


私は永野家が餅つきをしようが、望年会をしようが、そんなことに興味はない。

興味があるのは、永野学園の子どもたちへの配慮だ。


道向かいでは子どもたちの元気な声は聞こえたものの、その姿を見ることはない。

近隣で訊いてまわれば、「どもたちの姿は朝から見ない」と、皆さん口を揃えて言う。


オジサマは「子どもたちは、午前中に別の行事があった」と回答しているが、数mだけしか離れていない施設で、餅つきのような子ども大喜びの行事を、何ゆえに別でやるのか?

永野もちつきは午後から始まっており、それを子どもたちに見せると、みんなつきたがるので、外出禁止の戒厳令でも出ていたとしか推測できぬ。

乳幼児だけではない。

永野学園には18歳までの子どもたちが居住しているのだから、あえて戒厳令を出さずして外に子供のが見えないなどということは考えがたいのだ。


こうして子どもたちを軟禁した永野ファミリーは、悠々と永野ファミリーのためだけの餅つきを楽しんでいた。

私の姿が見えるまでは(映像に写っているのは、全て永野ファミリーの子ども)。


推測でしかないが、永野モチ米は、すぐ側のラ・ムーやコストコ、業務スーパー、サンディ野村といった、私の行きつけな店で買われてはいまい。

最高級の品質でもち米の中の最高級ブランド 、“もち米の王様”と言われる「こがねもち」でも用意されていたのかも知れない。


言っておくが、この「施設の子どもたちにはやらんが、永野家だけは食う」こがねもちか何かは、100%税金で買われている。

親子3代が永野学園とそこで暮らす子どもたちに対して出る補助金等の税金に寄生してきた永野家3代。

それにふりかけるように、岸和田市議、府議✕2人、市長として利権アサリを続け、税金をついばんできた。


税から地上げ屋としてマネーロンダリングへの手法をも駆使し続ける永野家こそ、「出すもんは下も出さん。 くれるもんは道路で引かれた動物の死体でももろてくる」などと俗に言われる何でも吸い込むがま口である。


そんな税で永野家の蓄財をし、使い切れぬほどの銭を鷲掴みするなら、永野学園の子どもたちに、自分たちと同じ美味い餅でも食わせよ!


以前も書いたが、何度でも永野怪我子どもたちに行ってきた仕打ちを書く。

政治を保育園に持ち込む、あっぱれな永野一家! さすが子どもより永野家ファーストな永野学園だけあるわ
http://mitumerukisiwada.seesaa.net/article/457748046.html

より

永野パパと同年代の人の証言。


当時、岸和田学園で預かった子は、捨てられた子や敗戦孤児がいた。
その子らは高島屋太郎とか大丸次郎などと名付けられた。
高島屋や大丸の前で、拾われてきたとの意味だ。

そんな庇ってくれる保護者などいない子らに飯はなかった。
「朝起きて食堂に行くと、食事がなかってん」
そう毎日訴える子らが、食事にありつける場所は学校の給食だ。
教師は、そのひもじい子らを特別扱いして、「お代わりないか?」と優しく訊くのが常であった。

夏休みなど長期間の休みがあけると、決まって子らは痩せて投稿してきたのを、証言者は覚えている。
遠足では、皆が弁当を持参する。
子らはオニギリ2ケにタクワン2切れの質素な弁当であったが、3兄弟の弁当は2つに重ねられた重箱式弁当だったのだとか。

今では氷が張るなど珍しくなってしまったが、当時は冬になると、今よりずっと寒かったように感じる。
子らは年がら年中アサブラを履かされていた。
大工方じゃないんだから、そんな雪駄では、アカギレができる。
それを尻目に3兄弟が吐いていたのは革靴だ。

証言者は3兄弟に言った。
「おい、大丸にその靴分けてやれ!」と。
3兄弟が、子らに自分たちと同じような扱いを受けさせることはなかったのだとか。

確かに敗戦前後には食料も少なかったろう。
しかし、それを分け合うのが、同年代の心であってほしい。
3兄弟はそうはしなかった。
原資が税だとか、寄付だとか、他の稼いだ銭だとかは関係ない。
差別意識にまみれ、生まれが違うんだから、扱いが違って当然だとの考えを持つ者が、立場の弱い人を守る職責を持つ政治家になって良いものか?
(引用ここまで)

こんな少年時代を親父からプレゼントされ、「学園の子とお前は違う! その証拠に学園の子のような公立に行かせず、私学に行かしてるやろ!」との言葉を受け、それを永野市長ら4姉弟にも伝承すれば、子を出汁に税を食み、蓄財を続ける“永野”一族のでき上がりだ。


孝男パパは、ある朝、道向かいのあおぞらにきた救急車を見に表の道へと出た。

その際も、彼の瞳に写った救急車で運ばれる施設の子は、他人事として、野次馬なのか、話のネタとして使おうとしただけで、子を心配して、職員に「どうなった? あんじょうしたりぃや」となどの言葉が出ることはなく、救急車が去ると、何事もなかったかのように施設を一瞥することすらなく、自宅へと戻ったのだった。



年末になっても腐臭漂う所業を見てしまったが、来年こそ、私が永野学園の子どもたちを救える年にしたい。



では、岸和田市議会の議員の悪事を一覧表にしています。
ぜひ、どれだけひどい議員がそろっているのかを、有権者として許せるのか、ご覧ください。

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