アリューシャン方面の戦い 日本兵を棄民した日本国国家 それを賛美する日本会議ブログ

日本会議地方議員連盟なるネトウヨ烏合の衆のブログが、Fbを見ているとアップされてきた。
ネトウヨ友達の情報のようだ。


折角なので、ブログネタにしてあげよう。

太平洋戦争において、初めて日本国民に日本軍の敗北が発表された戦いであり、1943年(昭和18年)5月12日にアメリカ軍のアッツ島上陸によって開始された日本軍とアメリカ軍との戦闘。
山崎保代陸軍大佐の指揮する日本軍のアッツ島守備隊は上陸したアメリカ軍と17日間の激しい戦闘の末に玉砕した。

ここではアッツ島の玉砕を賛美しているが、要するに、日本兵ですら棄てたってこと。
日本軍は大半の砲を失い食料はつきかけていた。
負傷者には自決させた。
苦闘二週間余、大本営は悪化する南方戦線の戦局打開を優先すべくアッツ島を見捨てた。

防衛省に保管されていたアリューシャン作戦記録の中に守備隊に届いた事実上の玉砕命令電文の内容が記されていた。
「最後にいたらば潔く玉砕し、皇国軍人精神の成果を発揮することを望む」
陸軍の幹部が記していた内部資料「アッツ島報道方針」には、
「戦意の高揚を図り、戦陣訓を一般に理解させる。 山崎大佐はもとより、全将兵の勇戦をたたえ、統率に疑惑を抱かせないようにする」
とある。

こんな兵法無視のアホ作戦を、
アッツ守備隊玉砕の報告は5月30日に昭和天皇に伝えられた。
森山康平によれば、その際に次のようなエピソードがあったとされる。

昭和天皇は報告をした杉山元参謀総長へ「最後まで良くやった。このことを伝えよ」と命令した。
杉山はすかさず「玉砕して打電しても受け手が居ない」と言った。これに対して昭和天皇は「それでもよいから電波を出してやれ」と返答された。
などといった回線責任者の美談仕立てで〆られては、行かされた日本兵は、死んでも死に切れん。



昭和18年(1943年) - 大東亜戦争・アリューシャン方面の戦い: アッツ島の戦いが始まる。
日本会議地方議員連盟 2017/05/12 Fri 07:04
http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-4858.html
より
昭和17年6月、ミッドウェイ作戦に呼応して哨戒線の前身、米ソの連絡遮断、敵の航空基地の利用阻止などを目的として、陸軍北海支隊と海軍北方部隊との協同によるアリューシャン列島のアッツ島とキスカ島の占領が敢行された。
しかし、ミッドウェイ作戦の失敗によってアリューシャン列島の戦略的な価値は無くなり、しかも米軍が反攻の兆しを見せ始めたにも係わらず、大本営は何等の対策をも講じ様とはしなかった。
昭和18年5月12日、米軍は戦艦3、空母1、重巡3、軽巡3、駆逐艦12という艦隊支援のもとに、第七師団1万1千人がアッツ島に上陸を開始。
孤立した離島に敵の大群を迎え撃つ日本軍は山崎保代陸軍大佐以下二千四百名、全員が死を決意し凄まじい戦いを繰り広げた。


腹立たしいので、この辺で引用をやめる。
つづきを読むなら、リンク先へ。

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